世界一おしゃれでエレガントなSAPEUR(サプール)の魅力に迫る―独占インタビュー

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コンゴ共和国から来日中の世界一おしゃれでエレガントなSAPEUR(サプール)たちと彼らを撮り続けている写真家:茶野邦雄氏の東京滞在3日間の一部スケジュールに同行し、取材。独占インタビュー取材を行った。

 

なぜ、彼らはSAPEUR(サプール)になろうと思ったのか・・・なぜ、彼らは装うのか・・・なぜ、これほどまでにいま世界が彼らに注目をしているのか・・・彼らの魅力に迫ってみた。

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独占インタビュー取材には、来日しているSAPEUR(サプール)を代表してYves Saint Laurent(イヴ・サンローラン)氏(左)とEric Kanga(エリック・カンガ)氏(右)がインタビューに応じてくれた。このとき、本職がファッションデザイナー/テーラード/スタイリスト/モデルでもあるEric Kanga(エリック・カンガ)氏は、その場で蝶ネクタイを作ってみせながら語ってくれた。

江渕良平: 来日して数日が経ちましたが、日本国の印象はどうですか。

Yves & Eric: みんなとても親切で対応も良く、ホスピタリティがあり、とても居心地が良いところですね。

江渕良平: 小さい頃はどんな子どもでしたか。

Yves: 私の子どもの頃は、内気でおとなしかったです。周りを見て周りに合わせるタイプでした。(笑)

Eric: 私も子どもの頃は、内気でおとなしかったです。Yves(イヴ)と同じ感じですね。(笑)

 江渕良平: いつ頃からSAPEUR(サプール)になりたいと意識し始めましたか。

Yves: 私が小さい頃はまだ占領時代だったので、家族(父母・祖父母)が白人の家で働いていました。そういうこともあって普通の家族と違って生活も良く、洋服も欧米の洋服を着ていました。洋服の着こなし方やSAPE(サップ)・SAPEUR(サプール)についてはお父さんが教えてくれました。

Eric: 先輩のSAPEUR(サプール)が、ストリートで格好良い服を着て、格好良いステップを踏んでいるのを見て、私もSAPEUR(サプール)になりたいと思いました。

 

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江渕良平: SAPE(サップ)やSAPEUR(サプール)は、コンゴ共和国が過去に植民地であったり、戦争や内戦、紛争があったりしたため、悲劇の上に築かれていった文化や伝統、習慣なのか、それとももっと別の何かがあったのか教えてください。

Yves & Eric: SAPE(サップ)やSAPEUR(サプール)は、元々コンゴにあった習慣で、いまのような姿ではありませんでした。 コンゴ人は綺麗な装いをするという習慣はありましたが。占領時代にフランスから来た兵士が、コンゴ人を兵士にして戦争に連れて行きました。その後、戦争から帰ってきたコンゴ人が、パリ紳士の盛装に身を包んで帰ってきたことがきっかけで、SAPE(サップ)・SAPEUR(サプール)が誕生しました。その後も内戦や紛争が相次ぎ、暴力が横行していたので、洋服を着るだけではなく、暴力に反対する運動になっていきました。SAPE(サップ)・SAPEUR(サプール)と綺麗な洋服を着るだけとは大きな違いがあります。当時もただ単にお洒落をする人はいましたが、それはSAPE(サップ)・SAPEUR(サプール)ではありませんでした。戦争が終わり、もう暴力はやめようという考えが広まり、SAPE(サップ)・SAPEUR(サプール)は誕生したのです。

※SAPE(サップ)やSAPEUR(サプール)の起源は諸説あるため、この後、Yves(イヴ)とEric(エリック)の2人は、少しの間、真剣に議論していた。

※コンゴ(コンゴ王国)は、15世紀中期にポルトガルに征服され、19世紀末にはポルトガルやベルギー、フランスによって分割植民地化された。その後も内戦や紛争が相次ぐ。現在は、コンゴ共和国、コンゴ民主共和国、カビンダ(アンゴラ共和国)に分割されている。コンゴ共和国だけではなく、分割されたコンゴ民主共和国にもSAPE(サップ)やSAPEUR(サプール)は存在したが、1960年の独立後の混乱で途絶えた。コンゴ共和国でも一時薄れた時期がある。しかし、一時薄れたSAPE(サップ)やSAPEUR(サプール)が復活するきっかけになったのは、コンゴ(コンゴ民主共和国(旧・ザイール共和国))出身の「ルンバ・ロックの帝王」の異名を持つアフリカンポップ・シンガー/ミュージシャンのPapa Wemba(パパ・ウェンバ)の存在だった。Papa Wemba(パパ・ウェンバ)は、Giorgio Armani(ジョルジオ・アルマーニ)やCharles Jourdan(シャルル・ジョルダン)、Issei Miyake(イッセイ・ミヤケ)、Yohji Yamamoto(ヨージ・ヤマモト)など世界各国のブランドの服を衣装として装いステージに上がり、白人のミュージシャンや歌手もメンバーに招き入れるなどしたことでも、世界的にも高く評価され、人気を博した。コンゴ出身のアーティストたちが、Papa Wemba(パパ・ウェンバ)のファッションスタイルを真似て取り入れるようになり、彼らのファッションスタイルに影響された若者たちが同じようにブランドものの服を着るようになり、その流れもあってSAPE(サップ)やSAPEUR(サプール)が復活、定着し、一大ムーブメントになっていく。時代の中で、音楽やファッションも連動し、文化として育まれていることがよくわかる一例でもある。Papa Wemba(パパ・ウェンバ)は、今年2016年4月24日に永眠。

 

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