映画『アメリカッチ コウノトリと幸せな食卓』母親の言葉とアルメニアへの希望を胸に—“どんな時も明るく笑顔でいるんだよ”
全国の映画館にて絶賛上映中の映画『アメリカッチ コウノトリと幸せな食卓』の本編冒頭映像が公開された!どのような映像になっているの!?記事を読み進めよう!


トランクの中の小さな穴から銃殺される寸前の母親の姿を見る幼きチャーリー・バフチニャン ©︎ 2023 PEOPLE OF AR PRODUCTIONS and THE NEW ARMENIAN LLC All Rights Reserved.
現在全国の映画館にて上映されている映画『Amerikatsi』(邦題『アメリカッチ コウノトリと幸せな食卓』)の本編冒頭映像が公開された。
今回公開された本編映像は、1915年のオスマン帝国(現・トルコ共和国)でアルメニア人への迫害、虐殺の影が忍び寄る中、幼い主人公 チャーリー・バフチニャンが家族のもとを離れ、たった1人でアメリカ合衆国へと渡る、運命を左右する本編冒頭映像。古びたトランクの中に身を隠し、トランクの小さな穴から銃殺される寸前の母親の姿を見て銃声を聞いたのを最後に、チャーリー・バフチニャンの数奇な人生が始まる。「その笑顔を忘れるんじゃないよ。この先つらいこともあるだろう。でも、どんなときも明るく笑顔でいるんだよ。さあ飛んでおいき小さなコウノトリ。私たちは心の中にいる。いつか故郷に戻っておいで」——母親の言葉は、異国の地で生きる唯一の灯となる。それから30年以上が経った1948年、チャーリー・バフチニャンは、自身のルーツを探るため、祖国であるアルメニア(アルメニア・ソビエト社会主義共和国)へ戻ることを決意。ソビエト連邦の統治下に置かれながらも、彼の心に宿る“理想の故郷”はずっと祖国に、そしてその胸には幼い日に祖母から教えられた歌、記憶の中の微笑み。アルメニア・ソビエト社会主義共和国の地を踏んだ彼が出会ったのは、ソビエト連邦軍司令官の妻 ソナ。パンを購入するために並ぶ人たちで混雑する店前で迷子になった息子 ヴァーニャを必死に探すソナを助けたチャーリー・バフチニャンは、ソナに自身がアメリカッチ(アメリカ人)であることを打ち明ける。しかし、その人助けとやさしさが、彼の運命を大きく狂わせた。チャーリー・バフチニャンが待ち受ける運命とは——。
どのような過酷な状況でも常に生きる希望を失わない——映画『Amerikatsi』(邦題『アメリカッチ コウノトリと幸せな食卓』)は、絶賛上映中。
《STORY》 幼少期にオスマン帝国(現在のトルコ)でのアルメニア人に対する迫害から逃れるためにアメリカに渡ったチャーリーは、1948年、自身のルーツを知るために祖国に戻ってくる。ソ連統治下にあっても理想の故郷に思えたからだ。ところがチャーリーは不当に逮捕され、収監されてしまう。悲嘆に暮れる中、牢獄の小窓から近くのアパートの部屋が見えることを知り、そこに暮らす夫婦を観察することが日課になっていった。いつしかチャーリーは夫婦の生活に合わせてあたかも同じ空間にいるかのように、一緒に食事をし、歌を歌い、会話を楽しんだ。ところが夫婦仲がこじれて部屋には夫だけが残され、時を同じくしてチャーリーのシベリア行きが決まってしまう。移送の期限が迫る中、チャーリーによる夫婦仲直り作戦が始まる——。
公開: 2025年6月13日(金曜日)より全国の映画館にて公開
監督: Michael Goorjian(マイケル・グールジャン)
脚本: Michael Goorjian(マイケル・グールジャン)
出演: Michael Goorjian(マイケル・グールジャン)、Hovik Keuchkerian(ホヴィク・ケウチケリアン)、ほか
後援: 駐日アルメニア共和国大使館
配給: 彩プロ
現在、全国の映画館にて絶賛上映中の映画『Amerikatsi』。今回公開された本編冒頭映像は、主人公のチャーリー・バフチニャンの数奇な人生のはじまりが映し出され、虐殺、銃殺される寸前の母の姿を見る幼いチャーリー・バフチニャンの横顔に胸が締めつけられる。また、30年以上が経ち、祖国に戻って人助けをしたことと自身がアメリカッチ(アメリカ人)であることを明かしたことで、運命が変わっていく。優しさや人助けが、罪になってはならない。いまや日本国でも無関心でいることや見て見ぬふりをすることが無難な時代になってきている。古き良き時代の日本国は、知らないおじさんやおばさんでも近所の子どもが良いことをしていれば褒め、悪いことをしていれば叱り、道端でお互いが挨拶をし、ご近所同士でモノの貸し借りやお裾分けがあり、お祭りや地域行事があれば子どもから高齢者までみんなが参加するといった、人が直接的な関わりを持つことで地域社会(コミュニティ)や安全、人同士の信頼が保たれてきたが、そういうことも時代錯誤となっているようだ。以前知り合った若者が言い放った——「人に関心がないので・・・」——新型コロナウイルス感染症のパンデミック禍以降、このような若者が増えているように感じる。真意は定かではないが、人に関心がないということは、自分自身や家族、友人にも関心がないのだろうか?独りで生きていけるのだろうか?自分以外のすべては、悪や敵だろうか?他者の人生や生活はどうでもいいのだろうか?一人でも多くの若者に本作を鑑賞していただき、チャーリー・バフチニャンの過酷な状況を追体験することで、何かを感じてほしい。人(他者)と関わり合い、心を通わせ合うことの大切さ、人(他者)の有り難さ、他者の幸せを願うことの大切さ、そして権力(者)よりも目の前にいる人(相手)を信頼することの大切さも身に染みてわかるはずだ。あなたが誰かの“コウノトリ”にならんことを。