NATIVE SPIRIT(ネイティブスピリット)正木 大の魂=スピリットに迫る—拘らず 特徴を持たせ “しないこと”をする

 
NATIVE SPIRIT®︎(ネイティブスプリット®︎)
© NATIVE SPIRIT Photo by Ryota Isomura
NATIVE SPIRIT|ネイティブスプリット

ネイティブスピリット オーナーの正木大さん © NATIVE SPIRIT, Photo by Ryota Isomura

——子どもの頃はどんなお子さんでしたか?

みんなと同じことができなかったり・・・親は苦労したと思うよ(笑)。

——いつ頃からレザークラフトなどのアーティストの道に?

1985年頃から段々とだね。

——いまはオリジナルジュエリーの制作・販売をされていますが、その前はオリジナルレザークラフトの制作・販売をされていたんですね?

1960年代終わりの幼少期から1970年代の少年時代にアメリカ合衆国のテレビドラマや映画、音楽なんかの、いまで言う“ポップカルチャー”を通して、ごく自然に触れる機会が多かったスタイルが、ネイティブアートやレザークラフトだったからね。僕が制作するオリジナルジュエリーやアクセサリーを“インディアンジュエリー”と言ってくれる人もいるんだけど、実は、“インディアンジュエリー”は制作していないんだ。“インディアンジュエリー”は、インディアンとしての戸籍がある者だけが作ることを許されている。それ以外の者が作ると、アメリカ合衆国の連邦法で訴追されることになる。つまり、僕が「“インディアンジュエリー”を作っている」と主張することは、「“インディアンジュエリー”の偽物を作っている」と同じことになるんだ。インディアン風(テイスト)、インディアンスタイル・・・色んな言い方で逃げなければならない。“ネイティブスピリット”ブランドで作るものは、ほとんどがオリジナルデザイン。インディアンが作らない作風のものだから、“インディアンジュエリー”ではなく、インディアン風(テイスト)に当たるかな。だから、レザークラフト、オリジナルウェスタンレザークラフト、ネイティブアート・・・いずれも年表を書くための便宜上の言い方であって、特に区別はしていないよ。レザークラフトもネイティブアートも便宜上の言い方で、実際には、ただ何か作ってるっていう程度で、本人にとってそれほど違いはないんだけどね。色々やんなきゃならなくなると困るから“ネイティブアート”ってイメージを限定してみただけなんだ。

 
——インディアンを知るきっかけは何だったのでしょうか?

1960年から1970年代のアメリカ合衆国のテレビドラマ、映画、その頃の音楽で育ったから、それがきっかけかな。

——1989年にナバホ族の家族に迎えられます。まず、ナバホ族との出会い、そして、ナバホ族がどんな部族なのか教えてください。

映画や本によくあった、異民族がインディアンと交流を持つハナシをやってみようと思って、インディアンがいそうな土地に迷い込んでみたのが始まり。ある本だったと思うんだけど、アメリカ合衆国アリゾナ州のどこかのバス停でヒスパニック系の学生がある部族のメディスンマンに会う話があったから、僕もアメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスからバスに乗ってアリゾナ州のバス停に行ってみた。誰もいなかったね・・・(笑)。ゴーストタウンのような寂れた町のダウンタウンをしばらくうろうろしてるうちに、最初のブラザーになるナバホ族(ディネ)のインディアンに会ったんだ。彼は、伝統的な思想や習慣を実践するインディアンをやめて、アメリカ人の生活をするインディアンだったけど、彼の奥さんとその実家が伝統を守る家だった。その家族“カーン家”に迎えられた。ディネは、ナバホ族のオリジナルの名称。北部(現在のカナダのカルガリー周辺)をもとにする移動型の狩猟採集民族。ディネの一部が南下したままホピ(族)の近くで定住化してナバホ(族)って呼ばれて、いまに至る。だから、いまもカルガリーの近くには昔残ったディネがいるよ。

——インディアンと出会い、オリジナルレザークラフトからオリジナルジュエリーの制作に転向した理由は何だったのでしょうか?

それは単純に“インディアンと会ったから”だね。それ以前もレザークラフトしかやっていなかったわけじゃなく、色々やってたんだけど、それ以後は絞り込んだだけなんだよ。例えば、インディアンのものにしても、知る前はお土産レベルだったり、インディアン風だったり、“カワイイ”線で止めておいて、“ホンモノ”みたいなものは家族に迎えられる後に大事にとっておいた。

——インディアンジュエリーアーティストたちのアクセサリーを扱い始めたのもこの頃でしょうか?

1988年から徐々に増やしてきた感じかな。

——その後、宝石ターコイズのコレクションも始められますが、ターコイズに魅了されたのはなぜでしょうか?

一般のものと違って見えるし、一般のマーケットでは入手困難なものがあることを知ってしまったんだよ。

 
——1993年にラコタ族の家族に迎えられます。ラコタ族がどんな部族なのか教えてください?

ラコタ(族)は、平原インディアンで、移動狩猟の民族。過去の映画でもその生活様式が一番ポピュラーなスタイル。どちらが良いというわけじゃないけど、移動民族から定住民族に変わったナバホ(族)より古いタイプの思想を持っているよ。

——ナバホ族、ラコタ族の家族に迎えられ、正木さんが見た、そして、感じたインディアンとは?

すべてには理由があって、その理由は認められる。自分で決め、自分で学び、各自の強さが他とのわを強くするっていうことを感じたよ。

——私と正木さんの出会いは、私が16歳、高校生のとき。当時、正木さんはインディアンは“ヒト”、そして、“サムライ”ということをお話されていましたが、そのときのお話を少し・・・

そんなこと言った!?(笑)そのときだからこそ思いついたことでもあるんだろうけど、映画『ラストサムライ』ができるくらい共通するところはやっぱりあるんだよね。サムライもインディアンもヨーロッパの宣教師が近づいてきた。サムライは、すでに統治をしていて、江戸時代にはヨーロッパと似た状態になった。その後、最新技術を取り入れたり、勉強したりして、刀を置いて、髷を切り、洋装して西洋舞踏まで踊って、戦国時代に始まる、オランダ、ポルトガル、フランス、イギリス、ロシアといったヨーロッパ列強の侵略のための宗教の改宗とリサーチをかわし続けて、辛うじてアメリカ合衆国と条約を結ぶことで防ぐことができた。その後も技術革新を続けて外国に資源を求めると圧力は強まって、結局、太平洋戦争をやらかして叩かれたのが日本。まだ国を作るに至っていなかったインディアンは、入植されて土地や権利を奪われちゃった。だから彼らの戦いはいまも続いてるし、続いてるから思想も残ってるんじゃないかな。インディアンが国を作らず、文明化していなかったのは、単にその未開の大自然で文明化する必要がなかっただけじゃなくて、なんとなく自然の摂理を守ることで、その選択肢を排除していたんじゃないかと思えるほど、成熟したバランス感覚を持った話しを残す人が多かった気がするよ。現代ではセールストークに歪められて、そういう話をできる世代のインディアンはほとんど亡くなってしまったけどね。

 

© NATIVE SPIRIT © NAOKO OGURA

 

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