世界を掴み、ディズニーも認めたカズ・オオモリの才能と信用に迫る―夢を諦めず、腐らずにやり続ける

 
© 2017 So Mishima
Kaz Oomori|カズ・オオモリ

© 2017 So Mishima

日本国在住ながら世界を股に掛けて活躍する日本人イラストレーター/グラフィックアーティスト/アートディレクターがいる。そして、あの名高いアメリカ合衆国のThe Walt Disney Company(ウォルト・ディズニー・カンパニー)も認めたDisney Official Artist(ディズニー・オフィシャル・アーティスト)でもある。そのアーティストの名は、Kaz Oomori(カズ・オオモリ)。

 

ディズニー映画『Big Hero 6』(邦題『ベイマックス』)のアートワークやディズニー映画『Moana』(邦題『モアナと伝説の海』)アメリカ合衆国限定コレクティブル・チケットのアートワークなどをはじめ、Disney(ディズニー)、Pixar(ピクサー)、Marvel(マーベル)、Lucasfilm(ルーカスフィルム)のアートワークを手掛けているディズニー・オフィシャル・アーティストとしても知られ、他にも超大作映画やメジャーな某テーマパークなどのアートワークも手掛けているカズ・オオモリ。カズ・オオモリ氏の生い立ちや下積み時代、世界を掴み、ディズニーに認められるまでに迫った。カズ・オオモリ氏、Tune Grafik(チューン・グラフィック)、Poster Posse(ポスター・ポッセ)のご協力のもと貴重な資料を交え、キャリアを振り返りながら、いままで明かされなかった半生(はんせい)が語られる。

——子どもの頃はどんなお子さんでしたか

三人兄弟の長男です。喘息持ちで体が弱かったので、あまり活発な方ではありませんでした。だから、ずっと家の中で絵を描いていましたね。体が弱かったので、母親に連れられて空手も習っていました。

——子どもの頃から絵を描かれていたんですね

幼稚園生の頃にディズニー映画『Pinocchio』(邦題『ピノキオ』)を観て、多分他の人から見たら見れないレベルだったとは思うのですが、ピノキオの絵を描いていました。それが絵を描くきっかけになりました。

——いつ頃からイラストレーターやグラフィックアーティスト、アートディレクターになりたいと思うようになりましたか

絵を描くのと映画を観るのが大好きで、色々な洋画をたくさん観ていました。物心がついたときには、1975年公開の映画『Jaws』(邦題『ジョーズ』)、Bruce Lee(ブルース・リー/李小龙)の1973年公開の映画『Enter the Dragon/龍爭虎鬥』(邦題『燃えよドラゴン』)、もう少し年齢が上がると映画『Indiana Jones』(邦題『インディ・ジョーンズ』)シリーズ、いわゆるGeorge Lucas(ジョージ・ルーカス)やSteven Spielberg(スティーヴン・スピルバーグ)などに影響を受けていくのですが、当時の映画の広告やポスターはほとんどがイラストレーションでした。映画のパンフレットを買って、それをよく模写していました。いつか映画のポスターの仕事をやりたいというのが、小学生、中学生の頃からありました。

——ご家族がイラストレーションの仕事をされていたからではないんですよね

ではないんです。私の実家は商売人で、大阪でジュエリーを販売しています。ジュエリーと言ってもセレブリティという感じではなく、どちらかと言えば職人気質な感じです。父親がジュエリーのデザインをやって、それを職人さんにお任せして作ってもらいます。その商品を家で写真撮影するので、トレーシングペーパーがセッティングされたブースがあります。そこでトレーシングペーパーに興味を持ちはじめました。トレーシングペーパーで自分の好きなキャラクターの模写をしたのが小学生、中学生の頃でした。

 
——高校時代、大学時代にはどのようなことを学びましたか

橿原学院高等学校美術科、そして、奈良芸術短期大学で、主にイラストレーションを学びました。大学時代、当時は、いまの奈良芸術短期大学と同じで少人数制だったので、先生に「先生、ちょっとこの顔が描けないんですが・・・」や「こういう絵のスタイルを描きたいんですが・・・」と質問を投げると「オオモリ、見とけよ!」と言って、目の前で描いてくれました。そういう環境で画材の使い方やデッサンなども学びました。

——大学卒業後にイラストスタジオに入社されたそうですが、キャリアのスタートはどのような仕事でしたか

最初は、イラストスタジオの近所に小さな商店があったのですが、その商店のチラシでした。その商店が、週末になると安売りをするので、その安売り用のチラシの線画を描いていました。他にも肌着メーカーの靴下のパッケージのイラストレーションを制作しました。それも無個性が要求されますし、一色のペンの線画で靴下のシルエットを描くだけでした。いまのような感じではなく、注文通りに言われたことだけをやっていくという感じです。2年半ほどイラストスタジオでお世話になりましたが、当時そのイラストスタジオには4人のイラストレーターが在籍していて、リアル・タッチ、カートゥーン・タッチ、建築パース、色んなジャンルのイラストレーターがいました。僕はどちらかというとリアル・タッチが得意でしたね。当時、スーパー・リアル・イラストレーションというのがすごく流行っていて、セクシーロボットで知られる空山 基さんなどが代表的なイラストレーターとして有名だったので、僕もエアブラシを使ってリアルな絵を描くことが多かったです。エアブラシは、大学でも少し学びましたが、高校生くらいのときから空山 基さんや山口晴海さんなどのエアブラシのイラストレーションが流行っていたので、親にお願いをしてエアブラシを買ってもらい、そのときからほぼ独学でエアブラシを使い始めていました。

——しばらくして渡米されますね

イラストスタジオでお仕事をしていたときに、すごくたくさんお仕事があって、色んなオーダーを受けるので、無個性で仕事をこなしていました。ある時、代理店さんのお仕事をしたときに「そういえば、オオモリさんのオリジナルのスタイルは?」と言われたことがありました。そのときにハッ!ドキッ!として、これはまずいなと思いました。以前から主にアメリカのエンターテインメントにすごく興味があり、映画のポスターも制作したいと思っていたので、イラストスタジオを退職して挑戦してみようと思ったのが、渡米するきっかけになりました。

——言語、コミュニケーションの壁はありましたか

全然できませんでしたよ。いきなりお仕事でというのは難しいと思うので、アメリカに行く前に語学留学をイメージして英会話学校に相談し、数ヶ月だけ通って学びました。本来、語学留学であればニューヨークやロサンゼルスですが、僕が通っていた英会話学校と繋がりがあった地域がアメリカ合衆国ミネソタ州ミネアポリスでした。これはたまたまですが、僕が高校生のときから憧れていた、全米のグラフィックアートやグラフィックデザインの領域で海外のコンペティションを総なめにしているグラフィックデザイナーのCharles S. Anderson(チャールズ・S・アンダーソン)という方が、アメリカ合衆国ミネソタ州ミネアポリスをベースに活動されていることがわかりました。こういう格好良いデザインはどういうところで生まれているのかという興味もあったので、アメリカ合衆国ミネソタ州ミネアポリスに行くことにしました。

 

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