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特別企画『奈良大和四寺のみほとけ』が開幕—岡寺・室生寺・長谷寺・安倍文殊院の国宝・重要文化財が集結

 
特別企画『奈良大和四寺のみほとけ』
©︎ SAPIENS TODAY and Wingedicate Photo by Ryohei Ryan Ebuchi

金堂には、柱間三間の須弥壇上に高さ2m超の国宝「薬師如来立像」(現在は「釈迦如来立像」として信仰されている)を中心として、その左右に四軀の像が並び、その前方には十二神将立像が安置されている。四軀の像は、国宝「薬師如来立像」(現・国宝「釈迦如来立像」)の脇侍として安置されており、かなり高い位置に配置されていることで、間近で拝観することは難しい。特別企画『奈良大和四寺のみほとけ』では、国宝「十一面観音菩薩立像」と重要文化財「地蔵菩薩立像」を間近でじっくりと拝観することができる良い機会となっている。

国宝「十一面観音菩薩立像」は、室生三本松に所在する地蔵菩薩立像とともに中尊の国宝「薬師如来立像」(現・国宝「釈迦如来立像」)の脇侍として、9世紀後半に造られたものとみられている。さざなみのように細線で刻まれている衣文線が美しく、ふっくらとした頰と見開いた小さな目が観音の慈悲を表しているようだ。

重要文化財「地蔵菩薩立像」は、本来の安置仏であった室生三本松の地蔵菩薩立像が寺外に出た後、他堂から移された。光背は、本来、この寺外に出た三本松の像のもので、中尊の光背と同じ作風を持つ。唐草など浮彫や透彫とする通例の光背とは異なり、板に色彩で文様を描く板光背で、南都文化圏に特有のものである。外縁部にあらわされた唐草文の先端はひるがえって火焔となり、その躍動感は見事である。

重要文化財 十二神将立像(巳神・酉神)

特別企画『奈良大和四寺のみほとけ』

重要文化財 十二神将立像(酉神)/鎌倉時代・13世紀/奈良・室生寺蔵 ©︎ SAPIENS TODAY and Wingedicate, Photo by Ryohei Ryan Ebuchi

特別企画『奈良大和四寺のみほとけ』

重要文化財 十二神将立像(巳神)/鎌倉時代・13世紀/奈良・室生寺蔵 ©︎ SAPIENS TODAY and Wingedicate, Photo by Ryohei Ryan Ebuchi

金堂諸尊像の前に横一列に安置されている重要文化財「十二神将立像」は、頭部に十二支の標幟をつけ、鎌倉時代の十二神将像に通有の十二支獣の性格を示すかのような豊かな表現や仕草を見せている。その中から重要文化財「十二神将立像(酉神)」と重要文化財「十二神将立像(巳神)」が展示されている。厚い瞼をわずかに開く重要文化財「十二神将立像(巳神)」の表情は、遠く見遣る仕草と呼応させながら陰湿とされる蛇の性格を表している。重要文化財「十二神将立像(酉神)」も勢いのある雄鶏のように右手を振り上げ、力強さを表している。図像を典拠としながらも細部の造形に工夫を凝らした仏師の巧みさが窺えるものとなっている。

長谷寺

特別企画『奈良大和四寺のみほとけ』

Photo by 三好和義

長谷寺は、奈良時代前半に創建。朱鳥元年(686年)に道明上人が天武天皇のために堂版法華説相図を造立し、西の岡(現在の五重塔付近)に安置。後に、新亀4年(727年)に徳道上人が聖武天皇の勅願を受け、本尊である重要文化財「十一面観音菩薩立像」を造立。平安時代になると、次第に朝廷から霊験性が認められ、経済的な庇護を受けるようになり、有力な観音霊場として人気を博していき、『源氏物語』や『枕草子』などの文学に「長谷寺詣で」が多く描写されている。

 

特別企画『奈良大和四寺のみほとけ』

 

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