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特別展『国宝 聖林寺十一面観音 —三輪山信仰のみほとけ』東京国立博物館で開幕—自然を崇め大切にしてきた先人からのメッセージ

国宝 十一面観音菩薩立像が東京で初公開されている特別展『国宝 聖林寺十一面観音 —三輪山信仰のみほとけ』が開催されている!どのような展覧会になっているの!?記事を読み進めよう!

 
特別展『国宝 聖林寺十一面観音 —三輪山信仰のみほとけ』
国宝 十一面観音菩薩立像(部分)/奈良時代・8世紀/奈良・聖林寺蔵 ©︎ SAPIENS TODAY and Wingedicate, Photo by Ryohei Ryan Ebuchi

国宝 地蔵菩薩立像は、江戸時代までは大神神社の神宮寺である大神寺(大御輪寺)に本尊 十一面観音菩薩立像と共にまつられ、明治新政府による政策・神仏分離令を機に親交が深かった聖林寺に移され、その6年後、奈良・法隆寺に移された。両手先を除く頭頂から台座蓮肉部までの全容を木心を込めた一材から掘り出した一木彫像の代表作の1つである。また、月光菩薩立像と日光菩薩立像も同じく江戸時代までは大神神社の神宮寺である大神寺(大御輪寺)に本尊 十一面観音菩薩立像と共にまつられ、明治新政府による政策・神仏分離令を機に仏具類と共に奈良・正暦寺に引き渡され、現在は本堂本尊の両脇侍として安置されている。日光菩薩立像はケヤキ材の一木造り、月光菩薩立像はヒノキ材の一木造りで、平安時代中期に遡る三輪山信仰のみほとけの遺例として貴重である。大御輪寺から十一面観音菩薩立像、地蔵菩薩立像、月光菩薩立像、日光菩薩立像それぞれが他の寺院に移されて以降、同じ1つの場所に集結したことはなく、本展が初となり、約150年ぶりのみほとけの集結、再会となった。

大国主大神立像

特別展『国宝 聖林寺十一面観音 —三輪山信仰のみほとけ』

大国主大神立像/平安時代・12世紀/奈良・大神神社蔵 ©︎ SAPIENS TODAY and Wingedicate, Photo by Ryohei Ryan Ebuchi

歴史書『古事記』や『日本書紀』、日本国の神話に登場する主要な神の1人で、出雲に大国をつくり、日本国をつくった国造りの神である大国主大神おおくにぬしのおおかみは、島根・出雲大社をはじめ、日本全国の寺社仏閣のご祭神としてまつられている。“大国”は、“大黒だいこく”とも読めることから、後に神仏習合し、広く一般に“大黒天だいこくてん”や“大黒様だいこくさま”として慕われるようになった。『古事記』には、大国主大神が国造りをしているときに大物主大神おおものぬしのおおかみが目の前にあらわれ、国造りを成就するため(助けるため)に「吾をば倭の青垣、東の山の上にいつきまつれ」と、大和を囲む山々の東の山(三輪山)に自身をまつらせたと記されており、三輪山を御神体とする大神神社にとって大国主大神は、大物主大神を三輪山にまつり、大神神社の創建に深く関わった重要な存在であることを意味している。この大国主大神立像は、仏教の大黒天の姿ながら、神道の大国主大神として信仰されてきた像である。烏帽子を被り、眉をひそめて目尻を吊り上げる険しい表情で、筒袖の狩衣と裾の短い袴をつけ、左肩に大袋を背負い、左手で袋の端を握り、右手は腰にあてて第一指から第三指を伸ばして拳を握っている。この姿は、基本的に、唐の僧の神愷じんがいが記した神愷(記)撰『大黒天神法だいこくてんじんほう』に記述される大黒天の図像表現に一致する。頭頂部から足の一部を含めた地付部までの中心部を一材から彫り出し、大袋の突起部、右膝から脛を通り足先に至る部分、左足先などを矧ぎ付けている。大黒天(像)の作例は、主に鎌倉時代以降に多いが、本像は平安時代の大黒天(像)の古例の1つとして貴重である。

三輪山禁足地と山ノ神遺跡からの出土品

特別展『国宝 聖林寺十一面観音 —三輪山信仰のみほとけ』

三輪山禁足地と山ノ神遺跡からの出土品/奈良・大神神社蔵、東京国立博物館蔵

大神神社は、三輪山を御神体とし、本殿・社殿を設けずに三輪山に直接祈りをささげ、自然そのものを崇拝する原初的な神祀りの信仰のかたちを残し、その祭祀の姿からも日本国最古の神社と呼ばれている。三輪山の磐座いわくら(神が降り立つ神聖な大岩)や三輪山に端を発する狭井川さいがわ沿いなど26の地点(遺物が採集された地点を含めると50近くに及ぶ地点)で、古いもので古墳時代・4世紀〜6世紀に祭祀が行われていたことも確認されており、本展では三輪山禁足地から出土した勾玉や土師器、山ノ神遺跡から出土した何らかの祭祀に使われた道具を象った土製・石製の模造品が公開されている。山ノ神遺跡から出土した土製模造品は、酒造りの一連の流れを示しているともいわれ、実際に古来から酒造りが行われ、その酒造り自体も祭儀的性質を帯びていたと考えられている。三輪山に鎮座する大物主大神は酒の神としても知られており、山ノ神遺跡から出土した土製模造品の存在から現在の大神神社の酒造信仰が古墳時代にまで遡る可能性があることを示す。『日本書紀』にも酒造りに関する記述がある。

日本国の自然崇拝・自然信仰

日本国には、無限に神がいることを表す“八百万やおよろずの神”という言葉があり、大和民族は土地、山や水、滝、岩、樹木、草、花などの自然、風や雨、雷、日食、月食などの自然現象、そして家・生活の中にある竈、衣食住や生業にまで、すべてに魂・神が宿ると考え、仏教伝来以前の日本列島では三輪山を御神体とする大神神社のように本殿・社殿を設けず、もちろん仏教伝来前なので寺社仏閣も建造せず、仏像も造像せず、自然や自然現象に畏敬の念を抱き、大切にし、しろとして、直接自然や自然現象そのものに祈りをささげ、拝んでいた。これは、世界各地の先住民にも共通して見られる自然崇拝・自然信仰であり、大和民族の暮らしの中から生まれた独自の信仰“神道しんとう”である。神は、その神によってわざわいや恩恵を受ける限られた人々によって信仰されていたが、次第に大和朝廷が各地の神々を体系的に整え、神話を礎に壮大な国家の構築とデザインをしていく。歴史書『古事記』はその1つであり、各地の神々は朝廷の神と関連付けられた。神に祈りをささげるために儀式の度に祭祀の場が設けられていたが、次第に固定化され、祭祀のための常設の施設がつくられ、神を祀る社殿が建造されていった。神社の建造と整備を進めたのは大和朝廷であったと考えられるが、社殿の建造には仏教の寺院の役割を取り入れた可能性があるという。6世紀半ばには百済くだらから仏教が伝来し、7世紀後半には神社が成立、そして8世紀半ばには仏像が造像されるようになった。神社の建造や仏像の造像がされるようになっても自然から神が切り離されることはなく、富士山や三輪山など全国各地の雄大なもの、美しいもの、神秘的なもの、奇妙な形をしているものに人々は心を揺さぶられ、そこに神や魂を感じ、信仰し、現在にまで続いている。

 

特別展『国宝 聖林寺十一面観音 —三輪山信仰のみほとけ』
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会場となっている東京国立博物館 本館特別5室に入ると、目に飛び込んでくるのは、前面中央に再現された大神神社の三ツ鳥居の前に立つ国宝 十一面観音菩薩立像。内覧会では、その美しさと神々しさから、展示順をすっ飛ばし(※展示の観賞順については、会場の注意書きや係員の指示に従ってください)、まずは国宝 十一面観音菩薩立像を正面から拝し、それから360度様々な角度からじっくり拝し、今度は少し遠目の正面から目が合うように拝した。そして、展示の最初に戻り、展示順に観賞、終盤に国宝 地蔵菩薩立像、月光菩薩立像・日光菩薩立像を拝し、そしてまた国宝 十一面観音菩薩立像を拝す・・・こんな状況。笑、国宝 十一面観音菩薩立像は、ただただ見惚れてしまうくらい、いままで拝した仏像の中でも本当に美しかった。拝す価値あり!その国宝 十一面観音菩薩立像を後世に護り伝える新たな観音堂を建造するためのクラウドファンディングも実施されているので、聖林寺さんへのみなさまからの温かいご支援とご協力をお願いいたします。

 
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